サダコの折り鶴オバマの折り鶴




広島をご案内する中で、久しぶりに原爆資料館に入った。
もう10年、もっと以上ぶりだと思う。

意識的に避けている部分はある。
その理由はこれまでに何度かこのブログに書いてきたので、今回は割愛する。




案内した友達は私に無理に一緒に入る必要はない、と言った。
私は入る、と言った。
どうしても、オバマ元大統領が折った折り鶴が見たかった。



話には聞いていたが、資料館の展示は随分マイルドになっていた。
以前はもっとえぐくて悲惨で、あとでうんうんうなされそうな感じのものだった。

マイルドにしないと見てもらえない。
これは資料館だけでなくて、映画だったり、漫画だったり、ドラマだったり、そういうもの全般。
それを「こんなものじゃなかった!もっとありのままを見せるべき」という意見と「まずは見てもらうことが大事。これをきっかけにしてほしい」という意見とがある。

私はどちらも選べない。




資料館は今、老朽化や展示の仕方を変えるため、一部閉鎖され工事をしている。

見覚えのある写真もあったし、原爆瓦にも触った。

佐々木貞子さんのことも大きく取り扱われていた。
まだ赤ん坊のときに被爆し、そのときは大きな怪我もなかったがのちに白血病を発病。
薬の包み紙で折った小さな千羽鶴のエピソードは何度聞いてもぐっとくるし、原爆の子の像を眺めるたびに無事に大人になれた自分を大切にしようと思う。

彼女の折った折り鶴も展示されていた。
小さな小さな折り鶴だった。









この間までは資料館に入場しなければ見られなかったと記憶しているのに、オバマ元大統領が折った折り鶴は無料で入れるエリアにひっそりと展示してあった。

鶴は丁寧に折られていた。
彼はどんな思いでこれを折ったのかなぁ、と思う。


鶴を折ればいいことをした。
平和に貢献した。
という扱いを受けているな、と思うことがある。

広島のイベントなどで、折り鶴を折りませんか、と声をかけるものだ。

あまり好きではなかった。

折ったからといって、なにがどうなるのだ。

それを「いいことをしている」と錯覚させるのはどうなんだろう。




ただ、その中の何人かは座って折り鶴を折る短い時間、なにかを感じたり考えたりすることがあるかな、と思うようになってきた。

悲惨さや恐ろしさを伝えるだけでなく、「今ある自分の幸運をかみしめる」ことも素敵なことなんじゃないか、と思う。









原爆慰霊碑の前で、笑いながら記念撮影をする観光客が大勢いる。
それも以前の私には許せないことだったが、今は「こうやって笑っていられるって素敵なことだよね」と見ていられるようになった。


平和公園は原爆の悲惨さや恐ろしさを伝える場所でもあるけれど、桜の木がたくさん植わっていて、お花見の名所でもある。
「あんなところでどんちゃん騒ぎをするなんて」と目くじらを立てる人もいるけれど、同じ理由で、「こんなことができるようになって、うれしいですね」と私は思う。


平和や幸せは大仰なことではなく、今自分がいることをかみしめることだと最近、考える。




■参考

Kyri*ate: オバマ大統領の広島訪問と憎悪を教わらなかったこと




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