「たくさん書く」と「文章力向上」と。あとは日々の経験と工夫。



夏の始まりから「書く」に没頭していた。

そこには「文章」と「物語」の評価がついていて、両方同じくらいの評価をいただいているが、文章のほうがやや上だ。


物語性については、「ご都合主義」というか自分でもツッコミをいれたくなることがあるので、この結果は仕方ない。
最後の終わり方も物足りない、と感じる読者も少なくないだろう。
自分が読者なら、そうなんじゃもん!



ブログでも「文章が上手いですね」とたまにお褒めのことばをいただく。
あれこれ含みがあるのかもしれないが、そういうときにはありがたく受け取ることにしている。
どうも、ありがと!

自分の文章が上手いのかどうか、よくわからない。
モノサシがないし、自分のモノサシが持てるほど文章を読み込んでも書き込んでもいない。


ただ、文章はたくさん書いたなぁ、という実感は持てるようになってきた。
元々、書くことが好きなので、お話を作ったり、思春期には黒歴史を綴ったノートを何冊も持っていたし、今でもノートや手帳が手放せない。
ブログも気がつけば、10年くらい書いている。


自分が物語を書くのをしなくなったのは、「伝わるようにうまく書けない」からだった。
こんな登場人物が、こんな思いで、こんなふうに動く。
自分の気持ちが先走って、客観的に「わかりづらい文章」だった。
それを指摘されるが、気持ちが先走ってしまうのは止められない。

今もそれは健在なので、ブログなど先走って書いてしまった、と感じたら、すぐに公開はせず、一晩くらい熟成させてなじませる。
もう一度読み返すときもあるし、「あ、あんなにこだわっていたけど、私が言いたいことはこれだけなんだ」と思い、ばっさり切り捨てて書き直すこともある。


こんなことができるようになったのは、仕事の中で培われているものが多い、と思う。
報告書や日誌を書くにあたっては、客観的事実を淡々と簡潔に書かなくてはならない。
読み合わせもしていたことがあったので、文法の間違いは指摘される。
中には重箱の隅をつつくような指摘もあった。

また、チームで仕事をしているので、「今日はこういうことがあり、それをするのにこういうことがしたい。なので、このあたりを配慮しながら、こう動こうと思うのだが、どうでしょう?」というのを毎日やる。
組む人は毎日同じではない。
なので、丁寧に簡潔に、かつわかりやすく伝えなくてはならない。

どう動けばいいのかの手順を紙に書くこともある。
相手は大人ではないので、とにかく簡単なことばで短く、図も入れてぱっと見たらわかるようにしなければならない。

他の人の意見も聞き、どうやったらわかりやすく伝えられるのかを模索する。




こういったことや、自分のブログだけでなく、他のブログに寄稿したり、他のサイトにライターとして投稿する、といったことが、今の自分の「文章力」につながってきているのだと思う。


ちなみにノートに書いていることは、基本「見せノート」ではないので、文法もぐしゃぐしゃ。
私がよくやるのは、文章の途中から主語が変わってきてしまって、わけがわからない、ってヤツ!

しかし、ネットに上げる場合は「誰かが読む」ことを想定するので、そこには気を遣う。




たくさん書けばいい。というものでもないかもしれないが、工夫したり努力しながらたくさん書けば、それは力になると思う。

最近、そういうことを強く感じることが増えた。





■参考

◇「とにかく書くこと」に「そうだよなぁ」と思い、この記事を書くきっかけになったブログ
ブログ筋力を鍛えたい! | Creating Myself

◇日常生活に支障をきたすぐらいのディープな蜜月
Kyri*ate: 「書く」との蜜月の夏

◇以前、自分もこんなことを書いた。今もよくわかっていない。
Kyri*ate: 文章がうまい。ってどういうことだろう。

◇上記の私の記事を受けてかかれたブログ
読みやすい文章は構成に緩急がある





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