毎日書く、ってどういうことだろう



ブログを毎日更新しなくなって久しい。

以前は更新時間を決めて、予約投稿して、ストックもしていた。

今はなんだかリアルとのズレがしんどくなったり、なんでもかんでも書いていたのを「これ、ホントに書きたいの?」と自問自答したら「ううん、書きたくない」と答えたりしたので、やめた。



ブログも日記も手帳も「毎日」を求める人は少なくない。
問われれば「どれも毎日でなくていいんじゃない?それより、楽しいかどうかが重要。ただし、ビジネスにしているなら話は別」と答える。

今になって、「毎日書く、ってどうなの?」と自分に問うているのは、やっぱり3月の糸井重里さんのことばが自分の中に残っていて、それがまだコロコロと転がっているせいだと思う。


糸井さんは今年の3月、東日本大震災を取り扱ったNHKの番組に出演されていた。
その中で、福島の高校生の活動も取り上げていた。
自分たちが地域を盛り上げ、福島の農作物などをネットを通じてPRする、というものだった。
彼らはFacebookページを使っていた。

糸井さんは彼らへアドバイスをしていたけど、その中のひとつが「毎日書く」だった。

毎日書いていたら、人の目に留まりやすい。
「何か新しいものはないか」とサイトに人が来やすい。

高校生は「毎日ですか…?」と、ちょっと難しいことを言われちゃったなぁ、という感じでつぶやいていた。

糸井さんは当然のように「そう、毎日」と淡々と言い切った。

「何を書くんですか?」との問いに「なんでも」と答えた。

そして、自分のサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」の「今日のダーリン」というコラムを1日も欠かさず10年も書き続けたことを話した。
「毎日書くんだよ。インフルエンザになっても」

それから、すべてが100%でなくてもいい、とも話されたような気がするが、もしかしたら、これは私の記憶がこんがらがっているかもしれない。

野球の選手だって、三割打ったら上出来なので、書いたことの三割がヒットだったらよい、くらいで書くといい。
ということもお話されたような気がする。



毎日書く。
なんとなく魅かれる。
「書きたいものを書きたいときに書きたいように書く」というのも好きだ。

でもなんだか、自分の中に残って離れないのならば、ちょっと意識してもいいかな、と思うようになっている。


言い訳になるけど、7~8月。
1年で一番過酷な「お仕事死闘編」が始まるし、冷房のない自室で、「毎日書く」が継続されるとはそう思えないけど、でも気になるんだ。


もしかしたら秋から取り組むかもしれない。

まぁ、こういうことを感じてるんだ。ということを書いておく。







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