私のサバイバル体験はここから?ほぼ無人島で過ごしたことがある




先日、友達と話をする中で、
「まだぴちぴちはねている魚のしごをするとき(この場合は、うろこを取ったり内臓を出したりする下処理のこと。広島弁)、
首のところを包丁の背でがんっと叩いておとなしくさせるくらいならできる」
ということを話すと、友達は驚いていました。



理由は祖父が魚のしごをするのを、そばでじっと見ていて、祖父がそうしていたからです。
目で見て、学ぶ。ですね。



私の祖父母はほぼ無人島状態の島に住んでいたことがありました。
もともとは中学校まである有人島でしたが、過疎化が進み、
みかん畑があるため、その手入れをしたり収穫したりするときに人が訪れるだけで、
普段は祖父母夫婦だけが住んでいました。


私の両親は共働きで、夏や冬の長い休みのときには、この祖父母のところに預けられることがよくありました。


電気、水道、ガスが基本、ありません。

電気は小さな自家発電機。
朝晩の自分たちの無事を知らせるために祖父が息子たちと無線で交信するときと、
祖父が大好きな野球(高校野球も含む)を小さなテレビで見るときだけ、発電していました。
島の暮らしの終わり頃は、夕方、食卓のある部屋の蛍光灯がつけられることもありました。


ガスは、プロパンガスを祖父が買いに行っていました。
煮炊きにガスも使いますが、七輪も現役で、魚やトウモロコシを焼くのは七輪でした。


水道はありませんが、ポンプがありました。
小さな島なので真水ではないものの、飲料水としてそこまで問題はありませんでした。
ポンプの柄は木で、長年使っていると傷んでくるので、祖父が取り替えていました。



祖父は船を持っていて、それで釣りに行きました。
私も連れて行ってもらっていました。

ルアーや竿はありません。
私たちは「しゃくり」と呼んでいましたが、
釣り糸に針とおもりがついているだけのもので、糸を直接持って魚が食いつくのを待ちます。

エサは祖父が引き潮のとき、ゴカイを掘っていました。たまにホンムシがいました。



釣った魚は船のいけすに入れ、食べるものだけ島に持ち込むと、
冒頭の通り、暴れる魚を包丁の背でおとなしくさせしごをする祖父の手許をずっと見ているのが好きでした。




と、こんなことを話すと、友達はますます驚いていました。

子どもだったので、火や包丁を扱わせてもらえませんでした。
だから、それらを操る技はまだ持っていません。


「いや、それだけでも十分だ」
と友達は言いました。





Twitterなどで、「他の人があまり体験したことのない自分の体験をさらせ」というハッシュタグのお題がたまに流れてきて、
私は「スペイン巡礼かなぁ」と思っていましたが、
この「無人島での生活」も入るかもな。と、考えるようになりました。





この無人島のことをブログに書こうと思ったのは、思い出したから、というのもありますが、
今年、この祖父の生誕100年だと叔父が教えてくれたからです。

じーちゃん、すごいのう。



■Notebookers.jpに書いた関連記事(追記 2015.12.29.)

ほぼ無人島でのちっちゃい私の狩りの話 | Notebookers.jp



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